[IOTA Occultations 34377 The value of lunar occultations] Dave Herald      Apr 22, 2009 11:23 pm

星食観測の意義について

David Dunham, Dave Herald, Mitsuru Soma


相馬がかぐやミッションの予備調査の結果を公表してから、何人かの方から月による星食の観測価値について質問をいただきました。以下はそれに対する回答です。

大切なのは、星食観測の特質を理解することです。星食観測とは、特定の時刻における恒星と月縁と観測者の位置関係を記録することにあります。 星食現象はいくつかの要素が関係し合って起こるのですが、その恒星要素の中で、もっとも不確実な一つ(あるいはそれ以上)の要素が星食観測により調査され、 あるいは改善されてきています。求めるべき不確実な要素は、時代とともに変化しているのです。

19世紀において、正確な時刻が得られるようになると、月の暦(運動)が最も「不確実なもの」になりました。 20世紀では、地球の自転の永年減速と不規則な変動が大きな関心事となり、グリニッジ天文台は特にdelta Tの決定を目的として、月による星食観測結果の収集センターとなりました。 やがて、地球の回転の変化や不規則さについての理解が進んでくると、今度は、月の運動について明らかにすることが主目的になりました。 また、Wattsの月縁は、とりわけ大洋を隔てた観測者の経度を月による星食により決定するために作成されました。 これより得られた正確な月縁は、日食時のベイリービーズの観測により長期間にわたる太陽直径の変化をとらえる用途にも使われました。

その時々の調査・研究において、星食観測は、常に「最も不確定な要素」を求めるために行われてきました。ひとつの例を挙げましょう。 20年前の接食観測における最も大きな不確定要因は、星表に記載された恒星の位置でした。したがって、観測から得られる恒星の位置に関するデータは、 重要な観測成果だったのです。しかし、ヒッパルコス衛星とティコ2衛星により、星の位置の誤差は月縁や月の位置の不確定さに比べてたいへん小さくなりました。

最近、星食観測の目的を変更させるような、いくつもの環境の変化がありました。 第一に、月の暦(運動)が月のレーザー測距により大きく改善されたと考えられています。 第二に、ヒッパルコス、ティコ2およびUCAC2カタログは、星の位置に関する精度を向上させました。これは10年前には最も不確かであったものです。 更に、相馬により公開されたかぐやデータの予備調査は、かぐやが、(その測地点の間隔がかなり荒いとしても)、 Wattsの月縁よりたいへん精密な月縁を作成することが可能であることを示しています。それでは、月による星食観測の目的として、何が残されているのでしょうか?

かぐやのデータが信頼できる月縁の形状の改良を可能にしたとすると、最も不確かな要素が入れ替わることになります。 とりわけ、ヒッパルコスとティコにより作成された「座標系」が、重要なクエッションになってくるのです。相馬は以下のように書いています。



ヒッパルコスカタログに記載された位置と固有運動は、銀河系外電波源を基準とした国際天球座標系(International Celestial Reference System (ICRS)) に結びついており、その精度は0.25ミリ秒角/年であるとされています。ところが、ヒッパルコス衛星は電波源を観測することはできません。 (ヒッパルコスプログラムは最も明るいクエーサー3C273の観測を含んでいましたが、暗いために位置基準として活用することができず、 間接的な比較がなされることになりました。)その結果、ヒッパルコス星表の座標系はICRSに対して固定していない、つまり、回転成分を持っている可能性があります。

FK5星表は、これまでそれぞれ独立におこなわれたVLBIや月のレーザー測距、固有運動の解析などから、採用している歳差定数に-3ミリ秒角/年の誤差を持っていることが明らかになっています。 ヒッパルコス星表がICRSに高精度で結びついているとすれば、FK5星表はヒッパルコス星表に対して、ICRSに対するのと同様の大きさの誤差を持つはずです。 ところが、FK5星表とヒッパルコス星表を直接比較した結果、両者の間の系統誤差は、予想される値よりはるかに小さなものでした。 この事実は,ヒッパルコスの固有運動システムに予想を越える誤差が存在する可能性を示唆しています。

現在、最新の月惑星暦であるJPL暦(DE405/LE405)の与える月の位置は、ICRSに対してミリ秒角の精度で結びついているとされることから、 それらの暦とヒッパルコス星表を用いて月による星食の解析を行うことにより、上記の問題を解決することができると考えられます。 2000年に相馬はアメリカ海軍天文台で開催されたIAUコロキウム 180 にて予備調査結果を発表しました。 それは、ヒッパルコス座標系が、公表されているものよりもかなり大きい誤差を含むことを示すものでした。 もし、月縁の誤差が日本の月探査機かぐやにより改善されるのであれば、星食観測を用いて更に高精度に上記の検証をおこなうことができると期待されます。



では、私たちの行っている星食観測は、どの程度の精度を持っているのでしょうか。PAL方式のビデオカメラの持つ時間分解能は、1フレーム=0.04秒です。 月と恒星の相対角速度はだいたい0.3秒角/秒ですから、ビデオで0.01秒角の精度を得ることは容易です。 これは、UCAC2カタログの持つ不確実性(0.03秒角程度)より小さく、ヒッパルコス座標系の持つ精度の検証を可能とする精度です。 かぐやのデータにより、星食観測は、新たな意義をもつことになりました。

また、かぐやデータは測点の関係から接食観測と同等の空間分解能を持っていません。 したがって、日食におけるベイリービーズの解析について、接食観測をかぐやのデータに置き換えるまでには至りません。 この分野における、接食観測の持つ価値には変化はありません。

それだけでなく、最近は、新たな観測意義も加えられつつあります。オーストラリアや北アメリカ、そして日本で、 いくつかのグループが星食観測を用いた重星の観測をおこない、近接重星においては他の手法では解析困難なコンポーネントの離角や位置角、 等級差を求める活動をスタートさせています。

以上から明らかなように、「月による星食の観測は必要なくなったのですか?」 の問いに対する私たちの答えは、はっきりと「NO」です。観測に対して求めるものは時代とともに変化しています。 星食観測が行われるようになってから380年を越える年月が経ちましたが、これは、その間常に起こってきた変化の一つにすぎないのです。



用語解説・参考資料

以下に「教科書」とあるのは、 「天体観測の教科書 星食・月食・日食観測編」(広瀬敏夫 編 ・相馬 充 監修 誠文堂新光社)です。


かぐやの観測から得られた月縁:
   Comparison of lunar limb profiles from graze observations with Kaguya LALT data

delta T:
   閏秒のページ(はまぎんこども宇宙科学館)
   教科書 p.26-30
   ユリウス日と位置天文計算
ヒッパルコスの座標系:
   1等星食のビデオ観測キャンペーンから求めた精密月縁データ
Wattsの月縁:
   教科書 p.43-46
   On the center of Watts' datum for the lunar marginal zone (Mulholland, J. D. 1981)
ベイリービーズの解析:
   せんだい宇宙館 日食画像集
   教科書 p.117, p.126
   Baily's beads atlas in 2005-2008 eclipses
   Relativistic Corrections to Lunar Occultations (Costantino Sigismondi 2007)